大谷専修学院 竹中智秀院長 【歎異抄講義】㉘
聖人は、仏弟子について、真(しん)・仮(け)・偽(ぎ)に分けられ、「真の仏弟子」については、1,釈迦諸仏の弟子 2,金剛心の行人 とされている。金剛心の行人こそ念仏者(=信心の行者)のことであり、「法蔵菩薩とは、私のことである」と名告ることのできた者のことである。聖人は、その真の仏弟子は、現生において十種の益(やく)を必ず得るとされている。
その十種の益は、10,「入正定聚の益」を根本としている。それは、真の仏弟子が如来の一人子として、一の弟子として阿弥陀如来を親と慕い、師として仰ぐ身となったことをいう。その「入正定聚の益」が、8,「知恩報徳の益」を開き、その「知恩」として今日の自分があることの恩として、1,「冥衆護持の益」4,「諸仏護念の益」6,「心光照護の益」を開き、さらにその「報徳」として9,「常行大悲の益」が開かれている。
問題は、「常行大悲の益」である。我々は先日、大地震を経験した。(「阪神・淡路大震災」1995年1月17日)その体験は、あくまで私の体験ではあるが、それは単に個人としての体験ではない。衆生の一人としての体験である。そのため、状況が分かってくる中で、多くの被災した人々の苦悩が、他人事ではなく我が身にも痛いほど伝わってくる。そういう中で、今ここで親鸞聖人の弟子として、念仏者として、この現実を受け止めて何ができるのかが問われてきてもいる。
聖人が生きられた時も、たびたび天変地異が起きている。その中で、難渋する衆生を目の前にして、聖人自身も「いま私は何ができるのか」と問われていた事実がある。その中に三部経千部読誦(さんぶきょうせんぶどくじゅ)のことがある。それは健保2年(1214年)、聖人が42歳の時、越後より関東へ入られる直前、佐貫(さぬき)の地で、飢饉のため餓死していく衆生に出遇われている。その時聖人は、かつての天台僧の一人として、思わず三部経読誦を思い立って読み始められている。それは経の功徳によって 1,天変地異を鎮め、2,餓死した衆生の霊を慰め、3,怯える衆生を安心させようとしての思いからであった。
しかし聖人は、「名号の他には、何事の不足にて必ず経を読まんとするや」(「恵信尼消息」)と反省して、途中で中止されている。このことは「天変地異は繰り返し起きてくる。その都度、除災延命を願って祈祷しても、それは衆生の救済にならない。それよりも地獄をも恐れず、それを引き受けて立ち上がる力を持つ念仏者を育ててこそ、真実の救済である」と選択をされ、決断をされたからである。
しかしそれが、17年後の寛喜3年(1231年)、59歳の時、関東を離れ京都へ帰ろうとされる直前、その佐貫のことを聖人は思い起こされる出来事に直面されている。これらのことは、直接苦悩する衆生に出遇われる度に、聖人自身の中に揺れ動くものがあったことを示している。我々も、いろんなことが問われるだろう。家を失った人々の難渋を見、倒れた家屋の下敷きになり、自分は抜けだし家族を助け出しきれないうちに火事となり、自分だけ逃げ延び、後で現場に戻って焼け死んだ家族の骨を拾いながら慟哭し絶叫する人々も見た。ほんとうに辛いことである。この人々に対して何ができるのか。
原爆が落ちた時でも、外に現れた災害の傷は、やがて復興されていく。しかしその災害を縁として、衆生の心の内にできたその傷は、どう癒やされていくのか。今回も地震を縁として、多くの人の心の内に大きな傷跡がとどめられていることだろう。そしてこれからも、その内面の傷は逆に深まっていくことだろう。
聖人は「念仏もうすのみぞ、すえとおりたる大慈悲心」(「歎異抄第4章」)といわれている。慈悲は衆生に対しての抜苦与楽である。慈悲こそ我々をお互いに一如に出遇わせていく力である。その慈悲に三縁の慈悲がある。三縁の慈悲とは、1,衆生縁の慈悲(小慈悲)、2,法縁の慈悲(中慈悲)、3,無縁の慈悲(大慈悲)である。まず衆生縁の慈悲とは、衣食住の無い者にはそれを与え、病める者には薬を与え、等々と衆生のそれぞれの訴えに対応していく慈悲のことである。
さらに法縁の慈悲とは、法を縁とする慈悲である。法とは、これまで問題にしてきているように、諸法因縁生 諸法無我の縁起の法をいう。その法を覚った知恵を中心として起こされる慈悲のことである。それは具体的に無量寿のいのちを生きる衆生は、お互いに倶会一処しあうことを、衆生の志願として生きていることをよく知り、そのことを実現していく慈悲のことである。
我々がよく経験する衆生縁の慈悲は、それがどのようなものでも最後まで応えきれない。なぜかというと、それは、1,衆生の志願が倶会一処にあることが分からないこと 2,死畏を離れられないから最後は我が身を守ってしまうことになる。実はそれは、法縁の慈悲が不徹底であることからくる。
次の無縁の慈悲とは、無我を縁とする慈悲のことで、法縁の慈悲が徹底することにある。曽我先生は「無縁とは、無有出離之縁の無縁である」と言い切られている。出離の縁のない衆生をそのまま自己自身とする、阿弥陀如来の慈悲のことである。
実は阿弥陀如来の慈悲のみが、我々衆生の上に、よく衆生縁の慈悲を徹底され、また法縁の慈悲を展開されることになる。我々の日常生活において問われる、衆生縁の慈悲も法縁の慈悲も、すべて我々にしてみれば、阿弥陀如来の一の弟子となり、一子(ひとりご)となって称名念仏申しながら、その阿弥陀如来の無縁の慈悲、大慈悲心を学習して深めていくことから始まる。
助けきれない家族を前にして、1,迫り来る火を恐れずに、2,その家族の傍らで「傍にいるから」と声を掛けながら焼け死ねるだろうか。また、3,「念仏申してくれ」と言ってその家族の傍を立ち去っていけるだろうか。いずれにしても如来・聖人を仰ぎながら衆生縁の慈悲を、法縁の慈悲を深く学び、実践し、常行大悲の利益を身に受けて生活していきたい。
《平成7年(1995年)2月13日》