葬儀社の選定とご遺体の搬送について
命ある者は、いつどこで死を迎えることになるか分かりません。しかし現代では半数以上は病院や施設で亡くなるという状況だと思います。そこからご自宅までご遺体を移動させる場合、葬儀業者さんにお願いすることになります。なのでご遺体の搬送をお願いした業者さんが葬儀を請け負うことになります。
最近、テレビCM などで「顧客満足度第1位!」などと喧伝しているネットで葬儀を請け負う新手の業者もありますが、こういう業者は仲介をするだけで実際の業務をおこなうのは、各地元にある葬儀社です。そこではマージンが発生するし、明朗会計や費用の安さをアピールしていますが、最低限のパッケージとなっているため、それなりに見栄えがするようにオプションを付けていくと、実はかなり高額になる場合もあります。
もし時間的に余裕があればネットの情報を鵜呑みにせず、複数の地元にある葬儀業者さんやお寺に相談してみることをおすすめします。
お寺への連絡と葬儀日程について
葬儀業者さんが決まり、ご自宅または葬儀場へご遺体を運ぶ段取りが整ったら、お寺へ葬儀の依頼の連絡をします。この時にご当家とお寺、葬儀業者さんの日程をすり合わせをします。枕経の時間もこの時に決めて、お参りに来てくださる方々にも連絡をしていただきます。また火葬場の手配は葬儀業者さんが行います、葬儀会場や火葬場は申込順なのでなるべく早めにお寺へご連絡ください。
枕経
亡くなって、一番はじめに執り行う法要です。ご家族やご親戚と一緒にご自宅の仏間のお内仏(お仏壇)でおつとめします。ここで注意したいのはご遺体に向かって読経をするのではなく、ご本尊阿弥陀如来に対して合掌礼拝するということです。ご本尊に対して「今までお世話になりました」とお礼を申し上げるという意味があります。
宝林寺では「仏説阿弥陀経」を読み、今後の葬儀についての打ち合わせを行います。多くの場合、通夜の前におかみそりを行い法名をお付けするため、枕経に集まっていただいた方々に亡き人の人となりや大事にされていたこと、思い出を話していただきます。家族や親族でも、自分の知らないエピソードを聞くことができてとても有意義な時間となることも多いです。所要時間は、およそ1時間~1時間半くらいです。
通夜法要で、おかみそりの前に説明していること
1.開式に先だって「おかみそり」を執り行います。
2.「おかみそり」とは、お釋迦さまの「釋」の一字をいただいて仏弟子(ぶつでし)となるという意味です。
3.「仏弟子」とはどういうあり方かというと、私たちが生きていくということは、自分にとって楽しいことや都合の良いことばかりでなく、辛いことや悲しいことにも出遭っていかなければなりません。その楽しいことも、辛いことも、その両方を平等に受け止めて、そのことを通して自分自身の生まれた意義や、生きる喜びを見出していくということを、生涯の課題としていくという生き方です。
4.その意味で、本来は生前に法名を受けるのが正式ですが、現在はお通夜・お葬式のおりに法名をいただく場合が多いです。ですから今回の御葬儀で大切な方をお送りする私たちは、故人の生き様が、仏弟子として、生涯の課題に向き合った尊い御一生であったと受け止めつつお送りしましょう。
5.通夜法要の式次第の説明
正信偈、念仏和讃、回向 願以此功徳 法話 (所要時間 約40分)
6.真宗大谷派のお念珠の持ち方、合掌の仕方、お焼香の仕方の説明
動画にしてみました。
おかみそりについて少し解説しています。
通夜法要の後の法話の内容
仏教でお葬式をつとめることの意義として、二つの大事な柱があります。
1.まず、その方が幾つで亡くなったとしても、最期どのような亡くなられ方をされたとしても、故人の歩まれた尊い御一生に対し「ご苦労さまでした」と虚心に頭を下げていくということ。
2.次に、残された私たち一人ひとりの問題ですが、亡くなった方に対し「あたなの死を決してムダにしません」と心新たに一歩ふみだしていくこと。
以上の2点が整うということが大事です。だから、お葬式はお別れの儀式であるだけでなく、私たち一人ひとりが仏さまと共に歩み出していく新たな始まりの儀式であるという意味があります。
日ごろ忙しく、なかなか自身を振り返る時間が無い私たちですが、今日明日と、亡き人からの「生まれてきて良かったといえる人生を送ってほしい」というメッセージに静かに耳を傾けつつ、過ごしていきましょう
葬儀式について
・真宗の葬儀と、その他の宗旨の葬儀のいちばんの違いは、葬儀の中で「受戒・引導」という儀式がないことです。
「受戒がない」→在家仏教なので、戒(仏弟子の守るべき生活規範)を守ることを条件としないからです。
おかみそり(帰敬式)を受けて「法名」を名乗ります。
「引導がない」→僧侶を含めて、人間には他の人をお浄土へ送ってあげる能力はないという考えに基づいています。「お浄土へ迎え取るのは、阿弥陀如来の“えらばず・きらわず・みすてず”というはたらきである」という考え方です。往生(おうじょう)即(そく)成仏(じょうぶつ)で、誰でも命終えた時、阿弥陀如来のはたらきにより即時にお浄土へ往生し、仏さまと成らせていただけるのです。
・もう一つ、真宗の葬儀では“友引などの日柄えらぶといった迷信・俗信にたよらない”ということも特徴です。清め塩も必要ありません。仏教では亡き人は「仏さま」であるといただくので、決して生者に対してバチやタタリを及ぼす鬼神(きじん)ではありません。
・現在、宝林寺の執り行う葬儀では、便宜上、3つの儀式を一つの会場で行っています。(所要時間は40分~50分)
① 棺前勤行(かんぜんごんぎょう)→本来は、ご自宅の仏間でつとめる法要です。お内仏のご本尊に「お世話になりました」とご挨拶します。
※ 内容 勧衆偈・念仏・回向
② 葬場勤行(そうじょうごんぎょう)→この部分が「葬儀」です。亡き人を葬送することをご縁として、仏さまの徳を讃嘆(さんだん)させていただく儀式です。
※ 内容 導師焼香・表白・(弔辞)・正信偈・和讃・回向
この後、花替えとロウソクの交換をします。
その間に弔電の奉読があります
③灰葬勤行(はいそうごんぎょう) → 本来は火葬場へ移動して、点火する前におつとめします。
※ 内容 三誓偈・念仏・回向
・宝林寺では、ご遺体の収骨の後のおつとめを一般的に用いられている初七日法要(しょなのかほうよう)という名称をつかわずに、還骨法要(かんこつほうよう)と言っています。後日、初七日法要(命終から6日目)を自宅でおつとめするので、ここで「初七日」という言葉を使うと重複して紛らわしいからです。
※ 内容 仏説阿弥陀経・正信偈同朋奉讃・白骨の御文・法話
(所要時間は約40分)
中陰(七日参り)と忌明法要について
平安時代以降、『十王経』という死後の旅路の物語が世間にひろまりました。いわゆる三途の川や閻魔大王が出てくるお話です。 この世とあの世の境目を「中陰」といい、初七日・二七日・三七日~七七日(四十九日)と七日ごとに、7人の裁判官が死者の生前の行いを裁判にかけて、死後の生まれるべき世界を定めるという構成です。(中陰の7回に加えて、100ヶ日、一周忌、三回忌(命終の2年目)の3つで十王です。)本来 忌明は四十九日ですが、このあたりの真宗のお寺では、三十五日までに省略してつとめる場合が多いです。
他宗においては、七日ごとに残された家族や縁者が集まって法要をつとめ、いわば裁判官に対して情状酌量の嘆願をするというような意味合いで七日参りがつとめられてきています。こういう考え方を「追善(ついぜん)供養(くよう)」(死者の冥福を祈ること)といいます。ちなみに五七日の担当の裁判官が閻魔大王です。
しかし真宗においては、「仏弟子は死後に迷うということはなく、即時に阿弥陀如来の極楽浄土へ往生する」という考え方なので、追善供養の必要はありません。
では、なぜ七日参りをするかというと、大切な方を亡くされたということは、そのこと自体がとても大きなショックで、大きな日常の変化をもたらします。中陰の期間は、亡き大切な方を近親者と共に偲び、励まし合いつつ。亡き人からの「命にはかぎりがあるのだ。かけがえのないあなたの人生を、どうか悔いのないようにしっかり生きてくれよ!」という願いとして受け取っていくための大切な時間です。供養ということが、亡き人のために何かできることをさせていただくという意味だとするならば、亡き人の死を通して、私自身が生きていく上で大切なことを教えられ、新たな生き方が始まっていくということが、亡き人が本当に喜んでくれることではないでしょうか。
もう10年以上も前のことですが、あるご家庭で、90代後半で亡くなった喪主の方のお母さんの葬儀の後、七日参りのたびごとに兄弟や親族を集めて一緒にお参りしたあと、毎回ごちそうを用意して宴会が行われました。
三十五日のあと、酔っ払いながら、「この年になっても母親を亡くすのは、本当に辛い。でも毎回みんなと一緒にお参りして、その後いっしょに食事して酒を飲んで色々な話ができたことによって、何とか寂しさに堪えられた。みんな付き合ってくれて有難う!」といわれました。年をとった方の葬儀では、どちらかというと淡々と忌明法要までつとめられるご家庭が多いです。この場合はまれなケースかもしれませんが、大切な方を亡くされたショックの大きさを、私自身が考えさせられた貴重な経験でした。
内容 仏説阿弥陀経・正信偈同朋奉讃・御文(所要時間約40分)